前だけを向いて進み続ける猫。食欲不振は、前脳障害という重大な神経病のサインだった。

診察台を挟んで飼い主がスマホを差し出す。少し立ち位置を変えて画面をのぞき込んで見る。動画の中にはゆっくりと歩く猫。でも、どこか様子がおかしい。ずんずんと前進する。揺るぎない意志を持つかのように。壁にぶつかっても後ずさりせず、頭を押し付けてかたくなに前へ進もうとする。

ひとしきり動画を見終わって、傍らのキャリーケースの中にいるその猫の様子を伺う。動物病院に連れて来られる他の猫とは違って動きが無い。声を出すこともなく、ただただ前だけを向いてじっとしている。メッシュ部分に透けて見えるシルエットは、不気味なほど静かだ。

ジッパーを開けてその姿を見る。その目は遠くを見ているようで、真正面で顔を突き合わせても一向に視線が合わない。自らキャリーケースから出てくる気配がないので引っ張り出す。まったく抵抗しない。猫は置かれたそのままの犬座姿勢で相変わらず前を向いている。すべてを悟りきった猫仙人のような佇まいだ。何の感情も読み取れない。

遠くを見つめる目の前に手をかざしてみる。瞬きをしない。目が見えていないようだ。意識障害と盲目。ということは…。手足を立たせてみる。されるがままだ。手のひらをひっくり返してみるが、自分で元に戻さない。支えなければそのまま崩れ落ちてしまう。すべての手足が同じ反応だ。

麻痺も運動失調もない、固有位置感覚の消失。前脳の症状だ。年齢を考慮すると脳腫瘍だろうか。そうであればおおかた髄膜腫か。髄膜腫は良性だから発生部位によっては手術が適応だが、その確認のためにはMRIが必要だ。でも、高度検査を飼い主は希望しないし、こちらも勧めない。食欲不振を主訴にやって来たこの猫は、神経機能の中枢が侵されていた。